Vol.17 ~朝鮮戦争は防げるか?中途半端な懐柔策の顛末~

Vol.17

【参考記事】http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/…/09/post-5811.php

1991年はある意味で世界史が大きく揺れた年でした。

 私が代ゼミ講師1年目のこの年は偶然にも年男(24歳になる年)の未年。湾岸戦争があり、ゴルバチョフが軟禁され、ソ連邦が解体しました。そして、朝鮮では、民主化宣言をした盧泰愚率いる韓国と年老いた金日成率いる北朝鮮が接近し、南北朝鮮の国連同時加盟を果たした年でもありました。

まもなく、94年に金日成か亡くなり、今一つ人気のない金正日が後を継いだことで両国間の関係悪化が不安しされたのですが、97年から韓国大統領となった金大中の掲げた太陽政策が一時的に効を奏し、2000年6月に初の南北首脳会談へと漕ぎ着けました。

私が平壌を訪れたのはこの前年1999年でした。まあ~限られた地域ではありましたが、平壌・開城の街の様子、板門店の北側、地下鉄、チュチェ思想塔を回り、写真を取りまくり、最終日にはガイドと飲んでアメリカの悪口を沢山聞かされたのを覚えています(笑)。

2001年には日本も時の首相小泉純一郎が平壌宣言を発表、数名の拉致被害者を連れ帰ることに成功、国際的には六カ国協議が開催され、北朝鮮を含めた周辺国による今後の対応策が模索し始められたのです。核問題や拉致問題など。北朝鮮は話が不利に展開されると、すぐに協議を中止しミサイル実験、所謂「テポドン外交」で揺さぶるお子ちゃま外交をなだめながら一歩一歩。

しかし、対テロ戦争・リーマンショックへの対応に追われ、日本やコーカサスの領土問題で足並みが揃わず、東日本大震災とチャイナ経済ショックもあり、六カ国協議は忘れ去られた頃に、北朝鮮に3代目が登場した訳です。

正直今の韓国はアメリカの軍事力など当てにしていません。勿論、最終的にはいないと困りますが、グアムから米軍爆撃機が到着するのに2時間。戦火切られて2時間あればソウルは陥落します。だからこそ、今回北朝鮮の核準備への厳しい報復を示唆したのです。1950年6月25日の戦争勃発(ユギオ事件)の再現はあり得ます。が、今の韓国の強気の姿勢は少なからず「開戦抑止」にはなっていることは確かです。

さあ、次の一手は何なのか?「中途半端な宥和」で六カ国協議へ引きずり出すのか、「強い制裁」でビビらせ続けるのか、11月の米大統領選次第で結果は出るでしょう。ただ1つ、完全に逃げ道を無くし、自爆されたら、間違いなく、東アジアはさようなら。。。

私には映画さながらの解決策が1つあります(笑)。もしかしたら、もう~開始されているかもしれませんね。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/…/09/post-5811.php

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