Vol.7 ~五輪史が如実に示す、日本開催がなくなる理由~

Vol.7

【参考サイト】http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46891?display=b(JBpressより)

「y masuzoe お前もか!」

だから、政治家は好きになれない。
道義的にどうかと言われればアウトではあるものの、パナマ文書でその名が公表された公的な立場にない著名人ならば、合法・投資・節税と言われると、正直責めきれない。

しかし、これが公的立場であり、そのお金が国民の血税となれば話は違う。さらに言えば、往生際が悪すぎるのが政治家の最も嫌いなところだ。その職に就いた当初は熱く、誠実で、日本を変える気合いが伝わってくる。しかし、次第に保身に走り、金に目の色を変えるようになり、the END。

「政治家中毒」は止められない。
さらに、この「都知事保身中毒」事件に怒りを覚えた東京都民に追い討ちをかけ、そして悲嘆させた事件が起こった。

「オリンピック招致合戦中毒」事件。

「やっぱり、電通、お前か(笑)」、この言葉に尽きる。
周知の事実ではあるが、私もこの記事の筆者同様、トルコびいきのイスタンブルオリンピック支援者なので、少々バイアスがかかってのコメントになっている点はお許し下さい。

かなり、長文の記事ですが、すべてが私の論旨と同様なので要約するまでもないので、じっくり読んで欲しいヽ(´ー` )ノ

追記すれば・・・
(夏期の文化史第1講の「オリンピック史」でも概要はお話していますが~)

古代オリンピアの祭典を持ち出すのも微妙ではあるが、1896年から始まる近代オリンピックの提唱者であるクーベルタンが教育者であることを忘れてはいけない。

列強の対立が見え隠れする19世紀末、「武力ではなくスポーツへ」と「つかの間の平和」を提供することが彼の想いにあった。

しかし、1936年、ナチスが国威発楊の道具にオリンピックを利用して以来、オリンピックの捉え方が変わったように思う。

とは言え、60年のローマ、64年の東京、72年のミュンヘンは敗戦国の復興に一役買った。68年のメキシコシティ、88年のソウルはその国や周辺国の経済的・政治的な安定を産み出すのに一役買った。

80年のモスクワと84年のロサンゼルスは冷戦下の国際政治に翻弄され、ボイコットという最悪な結末で多くの選手を泣かせたが、それでも、もともとの目的はそれなりに果たしていた。

しかし、オリンピック以降にデフォルトの危機に立たされたアテネ(2000)、平和どころか多くの揉め事を生み出した北京(2008)、不満だけが残ったロンドン(2012)、治安の悪化や大統領の汚職に染まるリオデジャネイロ(2016)に、裏金慢心の東京(2020)。

民衆の税金は湯水のように使われ、一部の企業が儲かる商業営利が最大の狙いとなったオリンピック誘致。その国の真の発展や周辺国の安定に全く寄与していないのが現実。

リスクや治安の面では時期尚早だったかもしれないイスタンブルが、初のイスラーム圏でのオリンピックを成功させたならば、周辺国や世界情勢に大きなプラスが見込めた可能性もあった。

とは言っても、ここまで来たら引き返せない。とりあえず、「最大に盛り上がらないオリンピック」にしないためにも、当事者たちは、できる限り毒を吐き出し、少しでも健全さを誓って欲しい。それがイヤなら、さっさと辞退して、再度意味のあるオリンピックを企画し、再チャレンジしてもらいたいものである。


 

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