vol.37 ~わかっていても難しいこと~

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今朝、札幌校出講ために飛行機で新千歳空港へ向かう機内で読んでいた日経新聞に見つけたコラム。

「怨みは怨みしか生まない」という全うな話。話題となったジャヤワルダナ氏が活躍したスリランカはイギリスによる植民地支配により負の遺産が残された。

茶のプランテーションの労働力として南インドから連れてこられたタミル人(ヒンドゥー教)。1948年の独立後も、帰国できずに多数を占めるシンハラ人に支配されることになった。まもなく、シンハラ人第一主義的な政策が採られ(仏教の国教化・シンハラ語の公用語化)、タミル人は一種の迫害を受けることになる。72年にセイロンからスリランカに改名し、社会主義的な政策がとられたものの、底辺の生活を強いられていたタミル人の社会的な地位は回復しなかった。

その長年の怨みがテロ(テロ組織「イーラム解放の虎」による)という形に現れたのが1990年代である。大統領暗殺をはじめとし、多くのシンハラ人が犠牲となった。

そして、2009年、シンハラ政権による突然のテロ掃討作戦により、タミル人テロ組織は壊滅、和平が実現された。私はその後にスリランカを訪れ、道端で黒焦げになった家々を目にしたのを覚えている。

ようやく平和を得たスリランカは、まもなく観光大国になり、日本人も沢山訪れるようになった。

そして、2019年04月24日に悲劇は起こった。テロを起こしたのはまさかの少数派のイスラーム教徒。しかも、シリアへの渡航経験がある人物が首謀者だった。ニュージーランドで起きたキリスト教超保守派によるモスク襲撃事件の仕返しであったとされる。「怨みが怨みを生む」の構造が、まさかのスリランカ、しかもタミル・ヒンドゥー教徒でなはないとこれろで起きてしまったのだ。

いや、「まさか」ではないのかもしれない。確かに宗教・民族は違えど、「テロによる報復」の土壌はスリランカにはあったからだ。

1919年のヴェルサイユ条約で、1921~22年のワシントン会議で封じ込めたドイツと日本が報復の行動に走った歴史を学んで、第2次世界大戦・太平洋戦争を処理した戦後の世界。しかし、やはり、すべての人間の心を納得させるには至らなかった。当然なのかもしれない。「怨みが怨みを生む」現象は身の回りの社会にも沢山潜んでいる…。人間の宿命だとするならば、歴史は無駄になっている気がしてならない。

ちなみに、昨日、スリランカではムスリム女性の全身「ブルカ」が禁止された。きっとさらに、スリランカにおけるムスリムへの締め付けが始まる。これらが、平和に暮らしていたムスリムの「怨み」を生まないことを願いたい。

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