政府に批判的なジャーナリストが殺された。しかも領事館内で、さらにはイスラームでは最もタブーとされる遺体の切断まで。イスタンブルのサウジアラビア領事館で起きた出来事が、しかも所謂暗殺処理部隊がイスタンブルに送り込まれた事実があるのにもかかわらず、サウジアラビア王家が全く関わっていないわけはないだろう。
しかし、本記事にもあるように、この事件を強く批判するトルコもアメリカも強い制裁は行えない。最後は「ならず者の仕業」で片付くことになるだろう。
さて、透明性の強い(いささか疑問だが(笑))国に住む我々は、自由と透明性は当たり前に主張できると思っているが、世界の7割以上は、それに当てはまらない。
無論、宗教的に自由がないことは各々の宗教の問題だが、政治的指導者が反対勢力を排除する構造はオリエント~ギリシア・ローマ時代から変わらない。
今回関与が噂されているサルマン皇太子の父で現国王のサルマンも、1932年にサウジアラビアを建国したイブン=サウードの25番目の子として、兄弟の歴代国王と同様に多くの反対勢力を抹殺し国王になった。穏健王政と見られている湾岸諸国やヨルダン王国・モロッコ王国、タイ王国でさえ、王家批判に対する処罰は厳しく、ニュースにならないだけで抹殺された人は数えきれない。
無論、共和制の独裁者に至っては紹介するほどでもないが、ロシアのプーチンをはじめ、北朝鮮も中国もエジプトも勿論、今回強く批判しているトルコのエルドアン大統領でさえ、同様な事件を起こしている。シンガポールやミャンマーでさえ、政府批判はご法度に近い。
つまり、グローバルスタンダードが「人間が理想と思っている世界」にはなっていないということ。ん~もしかすると、「アラブの春」のように理想を求めたがゆえに破壊的な社会になり結局回帰した例をみると、「自由と透明性」が最終的に果てしない個々人の欲望を生み出し、新たな権力を生むアイテムになっている気もする。
「独裁」が良いわけはない。しかし、末端レベルで生活している国民にとってみては「自由と透明性」より「安定や幸福度」の方が重視されるのかもしれない…
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45885326
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