イタリアのミラノやローマで多くのイスラーム教徒らが、パリで起こった同時多発テロの犠牲者らと連帯を示すための平和集会やデモを行った。パリの犠牲者を悼み1分間の黙祷で始まった集会において、参加者たちはアラーの名の下に繰り返される暴力を非難し、「私たちは敵ではない」など声を上げたとAFP通信は伝えている。「ムスリム」=「テロ」とまでは言わないが、「テロの可能性がある」という印象が植えつけられつつあることは否めない。もともと、「ムスリム」の風習や様相などに違和感を持ち、意味の分からぬ「恐怖心」を勝手に抱く人間は世界にも少なくなく、相手を理解しようとする前に、拒絶してしまう。残念な話だが、自国の文化を中心に学び続けてきた国民であればあるほどその傾向は強く、「国際的」な興味への欠如としか言いようがない。
しかし、イスラーム国のSNSによるプロパガンダに共鳴し、その考え方に陶酔していくヨーロッパ在住のイスラーム教徒が増えつつあることも事実である。社会の歪みが人間の心の歪みを大きくし、反社会的な行動に駆り立てるメカニズムは今に始まったことではない。夢を抱いてヨーロッパ世界に飛び込んできたアラブ系の移民が、想像以上の西欧世界の排他性に夢を打ち砕かれ失望する。元々気の短いアラブ系の人々にとっては反西欧思想に傾斜するのに時間を要さないし、ネットワークの強いアラブ系の人々が地下グループを拡大させることも容易である。 今回の同時多発テロが、外国人のほとんどいないパリ10区・11区で起こったことは注目に値する。彼らの目的がイスラーム国の掲げるヨーロッパ世界への挑戦でなく、そのヨーロッパ社会に溶け込みたくても溶け込みきれなかった挫折感から生まれた憎悪だった可能性は高い。今回のテロにおいて、イスラーム国のプロパガンダはあくまでも引き金の1つだったに過ぎず、テロの根源自体はヨーロッパ移民社会の歴史の中に根付いているのではないかと懸念してやまない。